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「傍観者の正義」〜進撃の巨人からの学び

進撃の巨人
 

進撃の巨人の第48話「傍観者」を見ていて、これまで考えていた「傍観者」のイメージが360度違うものになったので、この記事では傍観者というテーマで記事を書いていきます。

今回書いていく「傍観者」は、学校の教師が「いじめ」の現場で使う「傍観者」とは全く別のものです。

この記事を最後まで読むことで、人生について、いじめについても考えるきっかけになると思います。

進撃の巨人の「傍観者」については、以下の短い動画で8割理解できると思いますので1度視聴してみてください。

傍観者の本当の意味は?

傍観者という言葉にどのようなイメージを持つだろうか?

いじめの現場で「加害者」「被害者」「傍観者」という形で登場し、いじめの時に使われる意味としては当事者にならずただ見ているだけの人。

場合によっては責任の意識がないだけ加害者よりたちが悪いと言われる。

しかし、進撃の巨人の動画では「何も変えることができない人」という意味で傍観者という意味が使われているが、この使い方こそ正しい傍観者の使い方ではないかと僕は思った。

この場合の傍観者と反対の意味は「天才」「革命家」と言えるだろうか?

特別な選ばれし者。

進撃の巨人のエレン・イエーガーの教官だった「キース・シャーディス」は以下のように話している。(頭がハゲているのがキース・シャーディスです)

「なぜ凡人は何もせず、死ぬまで生きていられるかわかるか?まず想像力に乏しいからだ!!その結果何もなし得ずただクソを垂らしただけの人生を恥じることもない、偉業を成し遂げること、いや、理解することすら不可能だろう。」

『私は何も、何一つ変えることができない「傍観者」なのだから』

最初の言葉は動画外で48話で語られている言葉ですが、YouTubeでは見つけることが出来なかったので、アニメの本編を見ていただきたいです。

キース・シャーディスの真意を深く理解するためのも、U-NEXTの無料体験で無料視聴できますので、進撃の巨人の48話を見てみてください。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

キース・シャーディスは特別な人間であることを望んだが、自分は特別な人間ではないことを知った。

そしてその対比として存在しているのが、社会を革命的に変えることが出来る能力を持ったエレン・イエーガー。

何かを変えることが出来る「天才」「革命家」。何も変えることができない「傍観者」

いじめの時の登場人物は、「加害者」「被害者」「傍観者」という事になるが、この構造を「革命家」と「傍観者」に分けて考えると、これまで教師が語る「傍観者」というのは浅はかなのではないかと考えることが出来る。

次に、いじめの場面について「傍観者」の意味を進撃の巨人で使われているように深く考えてみたい。

学校現場の登場人物「傍観者」

いじめの現場では、ただ見ているだけの人を「傍観者」と表現するが、これを「何も変えることができない人」という意味で当てはめると以下のようになると思う。


ある教室で「加害者」が「被害者」をいじめている。

周りには数多くのクラスメートがいるが、何も起きていないかのように知らんぷりな状態だ。

ある生徒が「危ないからやめなよ!」と注意をするが加害者は聞く耳を持たない。

その生徒は言っても無駄であるということを知り、これからいじめには関わろうとしなくなった。


⇧これまでの「傍観者」の意味を当てはめると、ただ見ているだけで当事者にならない人という意味になるが、どこかの段階で接点を持っている人は確実に存在する可能性がある。

しかし、この場合「加害者」にいじめをやめさせることが出来ていないので、進撃の巨人的には「傍観者」と言うことが出来る、何も変えることが出来なかったのだから。

これらのことから、ただ見ているだけの「傍観者」、何も変えることが出来ない「傍観者」の2種類が存在することになるのは理解いただけただろう。

今までは傍観者を一括りにしてきたが、従来の「傍観者」と進撃の巨人的「傍観者」と2つ存在する。

果たして何も変えることができなかった進撃の巨人的な「傍観者」は本当にたちが悪いのだろうか?

僕はビジネスに関わるようになってから、「他人と過去は変えられない、変えられるのは自分の未来だけだ。」ということを散々色々な経営者に言われた。

自分の行動ですら変えることが難しいのに、他人の行動を変えることなんて難易度が高すぎると思う。

だから進撃の巨人的「傍観者」は全くもってたちは悪くない。

そして、教育現場で教師が「傍観者」にならずにいじめが起きていたらみんなで解決しましょう!!というのは、社会を知らないからこそ理想論を言う教師の詭弁にすぎないのだと思う。

もし、いじめを単独の力で辞めさせることが出来る生徒がいるならば、その生徒は将来「革命家」や「天才」になる素質を持っていると思う。

次にこの記事のタイトルである、「傍観者の正義」について書いていきます。

ただ見ているだけで当事者にならない「傍観者」の正義

いじめの現場で従来から言われている傍観者は、当事者にならないだけで一番たちが悪いと言われる。

僕自身も99%の割合で傍観者でいることが多い人生だった。

しかし、これまでの人生を振り返って、僕は回避型人間ということを自己分析することでわかったので、加害者にならないことこそ正義だと言うことを今では考えている。

加害者にならないことこそ正義。

回避型人間の特徴は、何も起こらないことが正義と思っています。

毎日自分が平和に過ごせればそれで良いと考え、ある意味自己中的な行動を行いますが、家庭環境などでこのような思考回路になることが多いです。

例えば以下のような場合。


子供が食器を割ってしまった。

この時に親の行う行動は大きく分けて2つである。

①食器を割ってしまったことに対して、「何をやっているんだ!!」と怒鳴る親。

②食器を割って怪我をしてしまった可能性があるので、「怪我はなかった?」と第一声で心配する親。


この場合、①の親の元で育った子供は回避型人間になる特徴があると僕は思っています。

食器を割る→親に怒られる

↑このような自体を2度と起こさないために、何故失敗してしまったのかを考え分析し次に繋げます。

そして、食器を割ると言う1例をかきましたが、たかが・・・かどうかはわかりませんが、些細なことで怒る親は色々なことで怒るので、様々なことで問題が起きないよう回避型の人間は先読みをして問題が起こらないように努めます。

ある意味守備的な考え方でしょうか。

自分自身のことで問題が起こらないように努めているので、他人の問題に対して介入する暇なんてありません。

書籍の「嫌われる勇気」で言われる課題の分離が出来ているとも言えます。

自己中的と書きましたが、例えば飲食店などのチームで働いていて、お店がうまく回っていない場合は、自分がそのチームの当事者になっているのでどうしたら問題が解決するのか深く考えバランスをとります。

しかし、学校のように自分がわざわざ当事者にならなくて良い場面では、積極的には介入はしないと言う方針です。

だから自己中的ではあるけど本当に自己中ではありません。

そして、何も起こらないことが正義なので、自分から問題だらけの難易度が高い他人を変えると言う行動は極力避けます。

以上が僕の考える「傍観者の正義」についてです。

わざわざ問題に飛び込みには行かない人種もいると言うこと。教師は傍観者にも色々なタイプがいると言うことを全く考えていないのだと思います。

この記事を書いていて思ったことは、進撃の巨人の作者の諫山創さんはとんでもないくらい、深く思考しているんだと言うことを改めて感じました。

僕の記事よりも進撃の巨人を見た方が勉強になると思いますので、U-NEXTの無料体験などで進撃の巨人を見てみてください。

この記事の復習をしたいなら、48話から見ることがおすすめです。

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渡辺正実

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