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渡辺正実のプロフィール

1993年7月31日に北海道の函館市に生まれる。

幼少期から写真というものが嫌いだったので、ネット上から著作権フリーの画像を挿入しますので、ご了承いただければと思います。

 

小学生時代

正直、小学4年生からの記憶しかないので幼少期の記憶をたどることが出来ないので省略させていただきます。

僕が小学生の時は、父親が税理士をしていたので札幌と地方を転勤する生活を繰り返していて、引っ越した記憶が多くあまり思い出という思い出がない。

小学校時代は習い事はピアノ、サッカー、塾、テニス、プール、空手などをしていて、一般的な公務員家庭なので、結構色々なことを経験させてもらった。

小学6年生の時は、毎日習い事があり月曜日と水曜日が塾、火曜日、木曜日、土曜日、日曜日がサッカー、金曜日がテニス、そして火曜日にピアノを習うという超ハードな生活をしていた。

運動神経は比較的良くて、毎年運動会のリレーの選手の補欠に選ばれるくらいの足の速さはあった、でも毎年補欠。

中でも印象深いのは、小学4年生の時は僕のクラスに足が早い人が集中していたため、クラスから4人リレーの選手が選ばれたが、

他のクラスのリレーの選手の数人よりも足が早かったにも関わらず、僕のクラスに足が早い人が集まったが為に僕は補欠。

3クラスあったので、12人のリレーの選手が選ばれたが、僕の足の速さは学年で10番以内だったと思う。

他の組のリレーの選手からは運が悪いねと言われ、理不尽だと思った。

今思えば、僕は補欠という立ち位置に立つことが多かったのはここからが始まる気がする。後に詳しく説明します。

小学5年生、6年生も補欠であったが、小学5年生、6年生の時はリレーの選手が学年で12人から8人に短縮されそれでも補欠を獲得したので、学年で10番以内の足の速さであることは証明した。

小学5年生の時は、後の親友が怪我したということもあり、補欠ながらリレーの選手として運動会本番で出場することになったが親友の怪我ということで複雑な気持ちを抱え運動会本番を迎える。

小学生時代は運動会の思い出が多くあり、小学6年生では騎馬戦の大将の馬に任命されるなど、運動会では輝かしい成績を残した。

小学生時代は先生からど真面目と言われるほと真面目に生きてきたが、あまり印象深い記憶はない。

中学時代

中学時代は僕の最初の暗黒時代になる。

入学当初から演じることで自分を保つ生活を強いられることになるので、僕の心は疲弊しきりの人生になる。

僕の心は一度中学3年生で死ぬことになるが、そのことについては徐々に説明していく。

中学1年生で北海道で有名な塾の北大学力増進会という塾に入塾し、一番上のクラスの超特進コースに入ることになる。

周りからは頭が良い存在と思われていたが、自分の学力と塾とのレベルの差を感じていたが、親の期待もあり目的もなく頑張ることを強いられていた。

成績は一向に上がらないにも関わらず、高い結果を要求され、親のエゴで進学する高校のレベルを要求されるし、勉強しなければ怒鳴られるので本当に家族が嫌いだった。

塾のレベルも高く、全くついていけないにも関わらず、学校では頭が良い存在を演じることを求められ家庭では成績が悪いので怒られる日々。

中学生になってからはサッカーも辞めてテニスに専念していて自分はそこそこイケてると思っていたが、全然ダメであったことに後々気付く。

中学3年生で初恋をすることになるが、特に告白することもなく高校受験を迎える。

この高校受験こそ僕の心を殺した人生最大の汚点だと思うほど、今も思い出したくない僕の人生の最大の悲劇と言えます。

それは、第1希望の高校の出願をして、倍率などをの結果から出願校を変更出来る最終日に事件は起こりました。

親の一方的な考えて僕は志望校を変更されるということをされました。

どんなに泣きわめいても、怒鳴っても自分の気持ちは受け入れてもらえず、勝手に志望校を変更され偏差値54くらいの高校を受験することになる。

勿論志望していた公立高校には合格するのだが、僕はテニスが強い高校に行きたいと言うことで私立高校に行きたいと言い出す。

これは受け入れてもらえるのだか、僕が世界一嫌いであった父親に母親と一緒に土下座をして、やっとのことで自分の思いを受け入れてもらえた。

それから数年は、何か問題が起きると土下座のことを言われ、本当に屈辱的な思いをする。

世界一嫌いな人間に土下座をすること、そして行きたい高校を受験すらさせてもらえないという2つのことで、僕の心は完全に死にテロリストになってもおかしくない思考が芽生え始める。